2018年 03月 19日
中学の時の英語の先生・・・ |
こんにちは~
いつもブログを読んでくださり、
ありがとうございます。
私には、何人かの恩師がいます。
その中で、
中学時代の英語の先生の話をさせていただきたいと
思います。。
25年くらい前の話ですが、結構鮮明に覚えています。
この先生についていったおかげで、
今の私があると言っても、
過言ではありません。
なぜかというと、その英語で
高校受験も、短大受験もどうにかなったからです。
中学1年から3年までお世話になったその先生は、
寺原淳子(あつこ)先生という方です。
その先生は、とにかくスパルタで
私たちは毎日、NHKの「ラジオ基礎英語」というのを
聞かされておりました。
それは、いい発音をさせるためでもあり
リスニングを鍛えるためのものだったと思います。
外国人の二人が英語で会話をする形式で、
その会話を毎日覚えて、授業中にペアで発表させるという
スタイルでした。
「ラジオ基礎英語」
テキストを見れば、会話の内容は書いてありますが、
やはり聞いていないとすぐバレます。
発音がなってないと。。。
テキストを見ながら、ラジオを録音し
何度も何度も聞いて覚えて、
夜覚えて、朝また覚えて、
英語の授業が午後からなら
お昼休みにも覚えて、、、
めちゃくちゃ何度も練習するのですが、
なぜか英語の授業で当てられると
”緊張で頭が真っ白になる”
なぜ、そんなに緊張しているかというと、
その発表でうまくできないと、
ペアになった相手と一緒に、
職員室に呼ばれて、
しこたま怒られるというバツが
あったからでした。
あまりの怖さに、
英語の授業が終わってから登校してくる生徒もいました。
(英語が2時限目の時は、3時限目からくるという感じで・・・)
寺原先生は、
「英語が話せるということは、書けるということ。」
「書くテストはする必要なし。(書けて当然)」
ということで、鍛えられました。
夏休みの宿題はというと、
通常の課題の他に、
「外国人と話してくること」
という課題でした。
何個か質問項目はあったのですが、
最後にはその外人にサインをらってくることが条件でした。
でも、25年前私のふるさとは宮崎の田舎でしたので
まず外国人を探すのが大変だったというヽ(*´∀`)ノ
同級生みんなで、
「外国人が、県立図書館にいたぞ~~!」
と言って、
1学年160人くらいの生徒が、
数人の外国人に群がっていたのが
爆笑でした~( ^∀^)
あと、
修学旅行が京都だったのですが、
その京都でも同じ課題が出されました。
「外国人と話してサインをもらってきなさい。」と。。。
あと他には、
「ビートルズの歌を覚えてこい。」など。
ちなみに、私はイエスタデイを覚えました。
あとはイマジンとレット・イット・ビーも
選ぶことが出来ました。
あと、英語のテストでは
「100点とって当たり前」でした。
学年でほんの数名、
ついていけない同級生たちがいたのですが、
その子達に先生は怒りません。
と、なると
先生に怒られるということは
見放されてない!!ということ!!
私は必死で食らいつきました。
ただ、1度
今となっては笑い話になったことがあるのですが、
試験時間50分で、
問題50問あった時があったんです。
それで、「1問1分、急いで解かなきゃ~!」
と思うじゃないですか!!
やっと50問解き終わって、
「は~、間に合った・・・」と思い、
答案を裏返しにしたら、
裏にまだ50問あったΣ(゚д゚lll)
ていうことがありました。
そんなこんなで、
私は時間が足りず、65点ほどしか取れなかったのですが、
学年平均点は70点くらいだったと記憶しております。
それでも、先生に
めちゃくちゃ怒られました。
いろんなことがありましたが、
寺原先生には、
「お前は、英語でカバーせんと、高校受験は厳しいぞ~!」
「みんなの前では勉強してないって言って、影で勉強しろ!」
とか、訳のわからんアドバイスも受け、
ギリギリ志望校に合格することができました。
今があるのは、寺原先生のおかげです。
本当にありがとうございました。
いつもブログを読んでくださり、
ありがとうございます。
私には、何人かの恩師がいます。
その中で、
中学時代の英語の先生の話をさせていただきたいと
思います。。
25年くらい前の話ですが、結構鮮明に覚えています。
この先生についていったおかげで、
今の私があると言っても、
過言ではありません。
なぜかというと、その英語で
高校受験も、短大受験もどうにかなったからです。
中学1年から3年までお世話になったその先生は、
寺原淳子(あつこ)先生という方です。
その先生は、とにかくスパルタで
私たちは毎日、NHKの「ラジオ基礎英語」というのを
聞かされておりました。
それは、いい発音をさせるためでもあり
リスニングを鍛えるためのものだったと思います。
外国人の二人が英語で会話をする形式で、
その会話を毎日覚えて、授業中にペアで発表させるという
スタイルでした。
「ラジオ基礎英語」
テキストを見れば、会話の内容は書いてありますが、
やはり聞いていないとすぐバレます。
発音がなってないと。。。
テキストを見ながら、ラジオを録音し
何度も何度も聞いて覚えて、
夜覚えて、朝また覚えて、
英語の授業が午後からなら
お昼休みにも覚えて、、、
めちゃくちゃ何度も練習するのですが、
なぜか英語の授業で当てられると
”緊張で頭が真っ白になる”
なぜ、そんなに緊張しているかというと、
その発表でうまくできないと、
ペアになった相手と一緒に、
職員室に呼ばれて、
しこたま怒られるというバツが
あったからでした。
あまりの怖さに、
英語の授業が終わってから登校してくる生徒もいました。
(英語が2時限目の時は、3時限目からくるという感じで・・・)
寺原先生は、
「英語が話せるということは、書けるということ。」
「書くテストはする必要なし。(書けて当然)」
ということで、鍛えられました。
夏休みの宿題はというと、
通常の課題の他に、
「外国人と話してくること」
という課題でした。
何個か質問項目はあったのですが、
最後にはその外人にサインをらってくることが条件でした。
でも、25年前私のふるさとは宮崎の田舎でしたので
まず外国人を探すのが大変だったというヽ(*´∀`)ノ
同級生みんなで、
「外国人が、県立図書館にいたぞ~~!」
と言って、
1学年160人くらいの生徒が、
数人の外国人に群がっていたのが
爆笑でした~( ^∀^)
あと、
修学旅行が京都だったのですが、
その京都でも同じ課題が出されました。
「外国人と話してサインをもらってきなさい。」と。。。
あと他には、
「ビートルズの歌を覚えてこい。」など。
ちなみに、私はイエスタデイを覚えました。
あとはイマジンとレット・イット・ビーも
選ぶことが出来ました。
あと、英語のテストでは
「100点とって当たり前」でした。
学年でほんの数名、
ついていけない同級生たちがいたのですが、
その子達に先生は怒りません。
と、なると
先生に怒られるということは
見放されてない!!ということ!!
私は必死で食らいつきました。
ただ、1度
今となっては笑い話になったことがあるのですが、
試験時間50分で、
問題50問あった時があったんです。
それで、「1問1分、急いで解かなきゃ~!」
と思うじゃないですか!!
やっと50問解き終わって、
「は~、間に合った・・・」と思い、
答案を裏返しにしたら、
裏にまだ50問あったΣ(゚д゚lll)
ていうことがありました。
そんなこんなで、
私は時間が足りず、65点ほどしか取れなかったのですが、
学年平均点は70点くらいだったと記憶しております。
それでも、先生に
めちゃくちゃ怒られました。
いろんなことがありましたが、
寺原先生には、
「お前は、英語でカバーせんと、高校受験は厳しいぞ~!」
「みんなの前では勉強してないって言って、影で勉強しろ!」
とか、訳のわからんアドバイスも受け、
ギリギリ志望校に合格することができました。
今があるのは、寺原先生のおかげです。
本当にありがとうございました。
by syufuno
| 2018-03-19 15:46